viva venezu~ ビバベネズ

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Profile プロフィール

吉澤陽子(よしざわ ようこ)

日本はもとより本国ベネズエラでも珍しい女性ベネズエラハープ奏者。
1997年に本国へ。アンデス圏のメリダ、ギアナ高地のカナイマ国立公園、ジャノ地方のアプーレ、首都カラカスと渡り住み、5年間のベネズエラ音楽修業を経て2002年に帰国。
2007年、ベネズエラのアーティストたちと日本向けユニット「Ahonda」を結成。2008年には日本常駐ユニットとしてSateliteを結成。
日本では未知のベネズエラ音楽を新しいラテン音楽「ムシカ ベネソラーナ」として日本に浸透すべく奮闘中。

現地では音楽番組やコンサート等でラファエル・ブリートと共演。
故チャベス大統領の御前演奏も経験。
日本ではベネズエラ音楽を紹介するイベント等で数多く演奏。2011年にはベネズエラ大使館の文化担当官であり、音楽家でもあるMaurice Reyna氏とともに在ベトナム ベネズエラ大使館の招待でハノイで約1週間演奏。
現在は作詞作曲も手がけ、ベネズエラと日本の音楽を融合した独特の音楽も演奏している。

Team 参加チーム

Yoko Yoshizawa con Zapo Oriente
ヨーコ ヨシザワ コン サポ オリエンテ

2015年、日本人のみで構成されたグループ。サポ オリエンテのリーダーは長年吉澤と一緒に演奏してきた本城久志。ベース、コントラバスに沼崎美弥子、パーカッション、ドラムに鈴木賢治を通常メンバーとしているが、メンバーはサポ オリエンテの名前のもと入れ替わる事も、縮小、拡大することもある。
ベネズエラ音楽を基礎としているが、それだけには捕らわれないよりオリジナリティを追求したバンド。

Yoko Yoshizawa con Zapo Oriente ヨーコ ヨシザワ コン サポ オリエンテ メンバー

本城久志

本城 久志ホンジョウ ヒサシ

仙台市出身。12歳よりロックに興味を持ちエレキギターを始める。その後、クラシックギターに転向。ジャズバンドでギターを弾いていたがワールドミュージックに興味を持ち、Buena vista social club に影響を受け、キューバを旅行。キューバ音楽ソンのバンドでギターとトレスを演奏。ベネズエラ音楽には2008年に出会いクァトロを演奏し始める。

2010年3月にはついにカラカスを訪問。
有名若手クァトリスタのユニット「C4Trio」のエクトル モリーナとホルヘ グレムからクァトロを習う。

沼崎 美弥子ヌマザキ ミヤコ

沼崎美弥子

高校よりエレキベースを始め、専門学校時代に早稲田大学スイング&ジャズクラブに在籍しコントラバスを始める。ジャズ界の巨匠池田芳夫氏に師事。
ジャズをメインに演奏活動をしてきたがラテン音楽のリズムに惹かれるようになり、その後数々のサルサや他のキューバ音楽バンドで演奏。

宮城県に移住後2015年よりベネズエラ音楽ユニット「サポ オリエンテ」に参加。その他ソンバンド、ジャズバンドのコントラバスとして活動中。

鈴木 賢治スズキ ケンジ

鈴木賢治

中・高とブラスバンドでパーカッションを担当、その後上京し山下達郎バンドのドラマー故 青山純氏に師事。数々のロックやジャズのバンドにて演奏。
仙波清彦とはにわオールスターズにパーカッショニストとして参加したことをきっかけにワールドミュージックに目覚め、NYのドラマーズ コレクティブにてドラム、パーカッションを学ぶ。ジャズはもとより、ロック、ポップスのアーティストらのライブツアーやレコーディング、また芝居の音楽とジャンルを問わず活動中。

東大のワークショップにてベネズエラ音楽を知り、2015年よりサポ オリエンテに参加。

Team 参加チーム

Satelite サテリテ

吉澤陽子(歌、アルパ、パーカッション)と本城久志(クァトロ、コーラス)によるベネズエラ音楽ユニット。2008年12月より無名のまま活動していたが、2009年12月にサテリテのコンビ名にて新たに演奏活動をスタート。年に1回だけのAhondaの活動を日本で継続すべく、Ahondaの衛星的役割として日本各地でのムシカベネソラーナの普及活動に勤しむ。
伝統音楽からアフロ系音楽と、幅の広い現代ベネズエラ音楽のAhondaスタイルを襲踏しつつ、独自の音楽も演奏。ベネズエラと日本の融合による独特のサウンドのファンも徐々に広がりつつある。
仙台 Jazz Me Blues noLaでの定期ライブの他、、北青山のブラジル音楽の老舗プラッサオンゼでも定期的に演奏。
2010年3月にはカラカス老舗日本料理店Avila-Teiにてゲリラライブを行う。

Team 参加チーム

Ahonda アオンダ(旧名RYRconJ)

Ahonda とは日本向けに結成されたユニットです。
ベネズエラメンバーは現地ではトップ中のトップアーティストたち。
特にポジョはベネズエラでは知らない人のいない人気タレント?(になってしまいました。)でもあります!
そんな彼らが毎回スケジュール調整をして日本に来てくれるのは何よりもMusica Venezolana ベネズエラ音楽を世界に広めたいから。
日本、いや世界各地にムシカ ベネソラーナが定着するまでが私たちの目標です。

Ahondaについて

Ahonda(アオンダ)の名前の由来

私が以前住んでいたギアナ高地はカナイマにある有名な山、アウヤンテプイ(悪魔の山)にある峡谷の名前です。この峡谷はガイドたちが閑散期によく冒険に出かけるところなのですが、前人未到に近い場所で、名前のない動物(未確認動物です)がいたり蘭が咲き乱れる場所があったりと、魅力的な場所だと聞かされていました。(触り程度は私も行きました。プールみたいなものがものがありました)
そしてAhondaには"もっと奥へ…、もっと深く…"という意味があり、一番文句が多そうなポジョからもこの名前にはすんなりOKが出てしまいました。

Ahonda(RYRconJ) 結成までの道のり

もともとは2000年にポジョ(ラファエル ブリート)と運良く知り合った事がきっかけだったでしょうか?
その後、ポジョは見る間に雲の上の存在となり、それでも偉ぶる事なく、頼み事をすれば引き受けてくれる友達関係が細く長く続いていました。そして、日本にムシカベネソラーナ(ベネズエラ音楽)を広めたい、そのためには是非日本向けのユニットが必要なんだと、またまたポジョに相談したところ揃えてくれたのが彼を含めた他の二人。まずポジョ自身が入ってくれた事にもびっくりしましたが、いとも簡単に集めてくれちゃった他の二人、、実は彼らもそうそうたるメンバー!!ベネズエラ音楽界を背負って立つ人々です。(詳しくは下記のプロフィールを読んでください)私は人とのご縁にすごく恵まれているのですが、この時も実は既に彼らと香港で会っていたこともあり話はとんとん拍子に進み、レコーディング、ユニット結成と相成ったのでした。

香港での出会い

2005年秋、友達からメールが入りました。ポジョが香港に行くそうだよ。近いと思っているらしく気軽に来いって言ってるけどどうする?との事。既に私は仙台で地道なゼロからの音楽活動に入っており、知名度が低いがゆえの屈辱やら貧乏やらと孤独に闘っていたのですが、面白そうなので、とりあえず香港に行くことにしました。メールが来てから一週間ぐらいのことです。ポジョは自分たちの泊まるホテルすら知らず、彼らがカラカスの空港を出発する間際、ロベルトなる人物→友達→私の順番でホテルの名前が伝達され、とりあえず、私が香港に着いたら、ホテルを探しあてるという(香港というかアジア未経験なのに)、スリリング且つ、ベネズエラらしいミーティングが決定されました。その突如として現れたロベルトなる人物がロベルトコッホです。ポジョとロベルト、ホセはクラウディア カルデロンというコロンビア出身のジャネーラを演奏するピアニストのメンバーとして初のアジア、香港にやってきたのです。残念ながらコンサート本番は見る事が出来ませんでしたが、一日掛かりの最終リハーサルを見学し、地元の方のガイドによる香港観光にも一緒に連れて行ってもらい、主催者ご招待のお食事会にもちゃっかりおじゃまし、そうこうするうちにすっかり彼らと仲良くなったのでした。

Ahondaの活動

2007年 2月 日本にベネズエラ音楽を広めるための特別ユニットとして結成される。
「RYRconJ」としてカラカスにてレコーディング。
7月 初アルバム「Moliendo Cafe」を発売
10月 ベネズエラメンバー初来日。東京と仙台で初演奏。
2008年 6月 ベネズエラ、カラカスにて演奏。
10月 メンバー来日。東京、宮城、福島などにて演奏、またはベネズエラ音楽普及活動を行う。
2009年 9月 メンバー来日。東京、宮城、岩手、静岡、神奈川などにて演奏及び普及活動を行う。
12月 グループ名をAhondaに変更。
2010年 2月 カラカスにてセカンドアルバムを制作。
8月 セカンドアルバム発売。
9月 メンバー来日。宮城、東京、大阪、兵庫などにて演奏及び普及活動。
2011年 2月 ベネズエラ日本大使館による日本文化週間にて演奏。
震災により(吉澤が仙台在住のため)秋の通常ツアーが中止。
2012年 3月 メンバー5回目の来日。
パーカッションのジョナタン ガビディア初来日。
宮城、東京、大阪、広島、横浜にて演奏及び普及活動。

※その後、ベネズエラの情勢悪化のため、コントラバスのロベルトはスイスへ。
 アオンダの日本ツアーは当分休止となりました。次回は2017年前後を予定しております。

Ahonda アオンダ メンバー

Rafael Britoラファエル ブリート

Rafael Brito

Rafael pollo Brito(ラファエル ポジョ ブリート)としても知られる。ポジョとはチキンつまり若鶏の意味。ベネズエラでは偉大な歌い手はGallo(雄鶏)と言われたりするが彼は小さい頃からそう呼ばれ、音楽界で認められていたこともありこの名が浸透した。
1971年、首都カラカス生まれ。ベネズエラを代表する楽器クァトロ(ベネズエラ4弦ギター)の奏者でありながら、作詞作曲も手がけ、日本でも最近注目を集める「シモン ボリーバル ユース オーケストラ」の教授をするなど、多岐に渡り活躍、若手クァトリスタとして着実にその地位を築いていた。 2005年に発売した初のボーカルソロアルバムで、ベネズエラ伝統音楽を現代風にアレンジ。高い技術と才能に裏付けされたオリジナリティーと斬新さが受け、アルバムのタイトル曲、「Una casita bella para ti」はヒットチャートNo.1に輝いた。アルパやクァトロを用いたフォルクローレとアフロベネソラーノ(黒人音楽)、ポップスの融合で新しいムシカベネソラーナの世界を確立した功績は大きい。
セカンドアルバム「Se canta venezolano」はゴールドを超え、プラチナディスクになった。今では彼のオリジナルバンドとともに全国をまわる他、テレビ、ラジオでも活躍。テレビで彼を見ない日はなく、ベネズエラでは彼を知らない人がいない程の人気ぶりである。が一方で、ベネズエラ音楽界のクァトリスタとしてのキャリアも確実に積んでおり、トップの演奏家の一人として海外の演奏を頼まれることも度々である。
Ahondaのリーダー。
アルバムの音楽ディレクターも彼。

Roberto Kochロベルト コッホ

Roberto Koch

1974年、カラカス中心部で生まれる。
幼少よりフルート、バイオリン、ピアノと音楽の英才教育を受け、18歳よりコントラバスを始める。その後、すぐにその才能を開花させ、わずか数年でベネズエラを代表するコントラバス奏者になった。
音楽への興味はベネズエラ音楽に止まらず、ジャズ、ラテンジャズ、ボサノバ界でも頭角を現し、各分野のトップアーティストとの共演を次々に果たし、NYのカーネギーホールでも演奏。あらゆるジャンルの音楽が混じり合ったオリジナリティーあるれるアレンジとコントラバスとは思えない指さばき、チベットの修行僧のような大人しい風貌とは正反対のアグレッシブな演奏で、コントラバヒスタとしての地位を不動のものにしている。
まさにベネズエラ現代音楽の中心にいる1人。
また大学ではコロニアル音楽を専攻。学問としてのムシカ ベネソラーナも極める探究心の強い音楽家である。
現在スイス在住。

Jose Perezホセ ペレス

Jose Perez

1953年生まれ。
ベネズエラの代表的音楽「ジャネーラ」の正統派マラカス、パーカッション奏者。
教本の類いのないマラカスという世界の中で才能を発揮。コーヒールンバで有名なウーゴ ブランコをはじめベネズエラを代表するほとんどの音楽家と共演。トップのマラケーロの一人として世界各国の演奏ツアーに飛び回っている。
ahondaの日本ツアーでダントツの人気を誇るのは実は彼である。